今、本当の意味で、真のカウンセラーが求められている、と思う。
しかも、人間性の質を保つべく関わる人、それは、多くの大人や親に求められているはずであるが、それらの人をつなぎ、勇気づける役割を持つカウンセラーが求められている、と感じる。
人間性の質自体は、そんなに、高度なものではない、むしろ素朴さ、優しさ、気遣い、勇気、忍耐強さ、責任感、うそをつかない、正義感、素直さ、共感性等々・・・。今までの歴史を経てきた私たちが受け継いできたものではないだろうか。
以前は、よく見受けられた、心の性質、いつの間にか、自分の中にも見つけにくくなってきているのかもしれない…。それはなぜだろうか。人と人の在り方、自分自身の在り方が、問われる機会が少なくなっているからだろうか。確かに人との交流の場は、以前と比べるとかなり、少なくなってきていると思う。子ども時代から、何ができるか、得意なものを伸ばすためのお稽古事や、学習塾に通い、合間を縫ってゲームをやっている子をよく目にする。
子どもの能力を伸ばしたいと願う親はとても多いが、心の在り方をよくしたいと、心の底では思っているのではあろうが、実際に、こどもを追い立てている親が多いのが実情だ。
子どもの持つ優しさと、子どもらしさを、ほんの少しでも、うれしい、かわいいという心情が働けば、きっと育つものなのに、と思う。そして、この時期子どもの世界を豊かにしていく、絵本との出会い、これは、子どもが自分の希望と、夢を持つ確実な時間となるだろう。
小さい子ども時代、花や虫や、犬や猫が好きな時代、人は、自分と同じ生命を身近なものとして感性に刻む経験を経て育つ。人として、自然の中に包まれる心地よさ、それは何ものにも変えがたいものではないだろうか。
ところが、最近、引き起こされる事件は、人間性を疑う凶悪な事件が多い。
以前から、危惧していたのだが、人の心が通じていない、人の温かさが感じ取れない、人の心が育たない。貰えるべき愛情が貰えない心のつらさ、怒りがその底に渦巻いていないだろうか。人は、ある意味人を鏡として、自分の周りでそれを探す。嫌悪感、無関心、冷ややかな感情しか見えないならば、自分の中の、恨みや怒りが、誘発されるという事態が起こることも考えておかねばならないことではある。それは、人の心は、良くも悪くも人から影響を受けるものであるからだ。それゆえ大切に育てなくては、と思う。他者の心との関わりと同時に、自分自身の心も大切にしなくてはならないのは、言うまでもないことであろう。 |