絵画や音楽、文学、映画、演劇など、これらは、アート、芸術と呼ばれ、これらを生み出す人は、芸術家、作家、アーティストなどと言われる。
人にとって、例えば、絵を描く、歌を歌う、音楽を奏でる、あるいは、詩やストーリーが生まれる時間は、どんなときであろうか?
画家や音楽家も、彼等の生活空間をいつもの意識で送っているときは、普通の人たちである。それでは、彼等を創作にかき立てるのは、特別な時間と空間であろうか。
確かに、それは言えそうである。彼らが、何かを作り出そうとする意識になっていないとそれらは、産まれない。そして、それらは、画家や、音楽家の感性が生活空間の中で、「あっ、これは・・・」という特別なときを感じ、そのときを掴む能動性によって表れてくるのではないだろうか。そのためには、インスピレーションを感じる感性のよさと、そのことにピュアになれる率直さ、そして、心を自由に羽ばたかせる自由さがとても大切である。
そういうことを思いながら、自分たちにとってはどうなのだろう?と考えを進めてみる。
普通の生活を送っているときは、あれもしなければならない、これもまだだという具合に、思いは、いつものルートを駆け巡る。一つことが終われば、次の決った事柄に向くようになっている。確かに、やるべき事をやっていく達成の感じは持てるものであるし、日常生活は、この穏やかさの中で営まれていくものである。
と、それならば、決った日常の習慣だけでなく、ふと目線を変えて、周りで起きている出来事や、移り変わっていく自然の姿に触れ、注意を向けてみよう。そうしていくうちに、いろんなことが、今までより、身近になり、心が動き、感動するものが、意識の中に表れ、そのよさを捉え、感じることができる、そんな生活空間をもてるようになるのではないだろうか。きっと、今までより、少し、違った色合いの暮らしになっていきそうだ。それは、芸術家と共通する感性といえるのではないだろうか。
分野は、様々である。その人にとって、「感動し、心が揺さぶられる」体験である。
“そのときは、つらい言葉であったが、身にしみた一言”であったり、“つらい日々にふと見上げた青空の青さ”だったり、“ずっと求めていたことを、読んでいた本の文章なかに、見出したとき”など自分にとっての、新しい、価値の創造とでも言える“とき”なのではないだろうか。
心は、いろんな事柄を通じて、ヒントや合図を受けとめ、私たちに送ってくるようである。要は、自分の心が求めているものを、求め続けることと、自分の心を自由にし、いろんなことに気づく感性、などが問われそうである。
現在から未来に向けての可能性の広がりを感じられる「明日にかける橋」を見逃さないようにしたいものである。そして、可能性を追求しつつ、自分の目標を可能にする方法を身に着けて進んで行きたいものである。
H23年6月2日 |