「悩みを持たずに生きてきた」といえる人はいない、このことは、とても私たちの特徴をあらわしていることだと思いませんか?そう、皆、何らかの悩みを、経て、今があるのだから・・・。そして、そのプロセスが人間らしい自分の姿になっているんだから。
それにしても、悩むときはきついし、辛い!なぜきついのだろう?逆に、悩まないときは、きつく感じない?!この二つの違いはどこにあるのだろうか。
悩むときは、答えを持っていないから、ありとあらゆることを想定して、可能性を吟味しているのだけれども、心に引っかかるものが、なかなか見出せない。しかも可能性からはずれたものがたまって重く沈んでしまい、次の心のプロセスである行動に向かわないからきついのではないだろうか。
ちなみに心に重く沈んでしまい、疲れて感じるのが負の感情というエネルギー。感情は、思考をめぐらしたり、行動の結果、派生してくるのだけれど行動に向かわずに、内向していくと、そこに整理されないままたまってしまうのではないだろうか。
では、悩まないときはどうなの?「こうして行こう、こうしたらよさそう」と行動に向かう指令が、心の中にあるので、迷わなくて済みそうである。つまり、行動の先にある目標への確かな選択ができている、ということだ。
この二つの事柄をみると、悩まないほうが、疲れないし、よさそうに見える。
ところが、やはり、悩んでいるほうが、疲れるけれど何か残りそうに思えないだろうか。
悩むほうが、複雑に生きてきている、ともいえるかも知れない。それに誰も、好んで悩むわけはないから、複雑に気をまわしたり、考えを凝らしたりするのも、大切な試練であるとは、悩んだ経験の多い方ほど身に沁みるものであろう。但し、無駄に悩んだり、否定的な考えや感情に引きずり込まれると、なかなかそこから抜けられないで本当に、困ってしまう。「ここから何とか脱出しないと!」、と誰しもが願う。
さて、そのように考えてみると、何かが浮かんでこないだろうか。
悩みの背景に何があるのか?どのように悩むのか、悩み方のスタイルがあるのではないだろうか?
確かに、悩み方のスタイルがある、と感じることがある。悩みの背景や条件と悩む人のタイプが似ていると同じ様な悩み方をしている。そのときの条件によって多少悩みの程度が違ってくるものではあるが。
となると、問題の解決法も見えてきそう!
そう、悩みの背景と条件によって悩みが生じ、これが誘引となって、そこに吸い寄せられるようにはまると、悩みに入ってしまう状態になりそうである!
代表的な悩みのパターンで考えてみよう。
Mさんは、20代後半の専門職についている女性。学生時代は、成績もよく、交友関係も恵まれ、仕事も3年前から希望の仕事についている。これまではとても順調であったが、今年の4月から、「仕事ができる」という厳しい上司のもとに移動になった。どちらかといえば、今まで、仕事も「{自分のペースで、やれていた}という思いがあったのだが、この上司から「仕事のペースが遅い、ミスも多い」とたびたび指摘され、とても緊張を感じるようになっていった。大体これが、悩みの第1関門。ストレッサー、弱いものいじめが現れたのである。
それでも、Mさんは、「自分に足りないところがある」と、この上司の指摘に、何とか報いようと、気持ちを傾け、ミスに注意し、もう少し速く仕上げるようにしようと、自分に言い聞かせながら、仕事をした、という。
本当に、Mさんは、真面目で健気です。よく真面目な人ほど、悩むというのは、確かに感じられるところ。
「あいつ、うるさい上司!」と周りの人にこぼしている人は、自分に責めを負わず、その時点で、ある程度、自分の感じた気持ちを外に出しているので、気は楽なはず。しかも周りにこぼすことにより、その上司の1つの情報として、周りの同情も集め、おまけに、あの上司は、パワハラしそうという声がささやかれることにもなりかねない、昨今の事情である。
ところが、あくまで、真面目なMさんは、自分で「上司がいやだ」と思う気持ちを自分の中に認めることができずに、気持ちを背負い込んでしまっているよう。なぜそうなるのかといえば、「ミスをする自分が悪い」「早くやれない自分が悪い」という、単純な二元論の上司の考えに載ってしまっているので、自分の中の主張が出てこれなくなっているからである。自分もこの二元論に陥って、「私が悪い」というところに陥っているから。
多分これが、Mさんのスタイルであろう。Mさんは、もしかしたら、小さい頃、親のいうことを、そのまま聞き入れ、叱られたら、自分が悪いと思って、親の言うとおりに従うというスタイルを持っていた、のではないだろうか。
まだ、経験の浅いMさんと、上司のやり方では、当然違いが出てくるであろうし、上司の指摘や、お小言は、それとして、きっちり情報として対処していくほうが、負担にならない。それを、自分の心に吸い寄せてしまうと、自分=上司の目から見た自分といった状態になって、取り込まれてしまい、心が縛られた状態に陥ってしまい、心の独立性が失われる状態になる。
自分が不十分で、小さい子どもだった頃の心の状態と同じである。本当は、成人した大人なのに。
この結果、どういうことが起こるかというと、考えがまとまらなくなったり、何かに引き寄せられているので、気持ちが重くなる。思考は、気持ちが重くのしかかっていたりすると働きにくくなるので、上のようになりがちである。
この結果、ますます、気持ちが追い詰められていくと、気持ちの悪い状態が続き、頭の働きが悪くなり、脳内ホルモンや神経の乱れに通じ、身体にその反応が現れるのは時間の問題、となるのではないだろうか。
いやな気持ちのまま、何かを食べると、消化が悪くなり、胃腸にきやすい経験は日ごろから私達がよく体験することである。
さて、Mさんは、どうしたらよいのだろうか?Mさん一人で、この状態を変えるのは、少し時間がかかりそう、そう、成熟という大人への心理的成長は、この問題への自分自身の課題を見出し、課題への取り組みにいたるまでを考えれば善し、とできるのではないだろうか。
後は、共感と支持の交友や適切な気づきへの導きがあれば、大丈夫!
皆乗り越える課題なのだから。
平成24年6月28日
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