先ず、初めに、声の練習。声を自由に出してみよう。ァアー、ァァアー、ァァァアーー、
どうにでも続けていけそうですね。ィイー、ィィイーー、そう昔の、大昔のまだ言葉が少ない時代には、こんな単純な音でなにかを伝え合ってたのかもしれませんね。
音をつなげ、組み合わせて言葉にしていく、私達もずっと小さい時には、言いたい言葉を口にして喜んでいたかもしれませんね。そんな感触も今となっては、忘れてしまっていて、決まった言葉に終始し、あまり愉快とは思えない言葉を使って日々を過ごしているような気がします。
言葉の使い方で、もしかしたら世界が違ってしまう?!
さて、私達は、いつどこで、同じような言葉遣いに限定してしまったのだろうか。いつも同じような言葉は、無難だが、おもしろくない。同じところを行ったり来たり、堂々巡り、一本調子、固定観念になってしまう。そうそう!少し広げてみましょう。
何をひろげたらよい?目と気持ち。詩人の魂って言葉を思い出しました!詩人の澄んだ眼が、この世界のどこを見ようとしたのだろうか?きっと澄んだ目で彼の魂を込めて、世界を自由に言葉で描き出したかったのじゃない!
言葉は、詩人にとっては、画家の絵筆、自由自在に、無限に世界を紡ぎだすもの。その言葉は目で見ることと心で感じる気持ちによって自由に広がりそう!
さあ、あなたも試してみよう。どんなことがしたい?どんなものを見たい?あなたの言葉でどんどん自分の好きなところへ、つなげてみると良い。世界は、思っているよりずっと自由なんじゃない?
何が見えてくるのか、何が聞こえてくるのか。誰と見るのか誰と聞こうとするのか、誰のためにそれらがあるのだろう。それを味わい、楽しむことが出来るのは私達、それによって、今までとは違った、新しい人生の味わいが出てくるなら、こんなに嬉しいことはないですね。
とりあえず言葉と一緒に進んでみましょう。今、どんなことばが、一番ピタッと来るのでしょうか。それは、ライフ、生活の豊かさ、自分らしい生活、魅力的な人生。そしてこれらを彩る、様々な価値観、私達は、このなかに何を求めているのでしょう?
例えば、仕事、家族、友人等々の中で。仕事のなかでは、自分の生活の糧を求め、家族の中には、お互いに頼り合える何らかの力となる絆を感じ、友人との交流の中では、友愛に基づく和のつながりを感じたい、と思うものですね。これらは、社会の中で、生きる私達の生の基礎的な枠組みともいえる部分。
これが豊かな感性で語ることが出来たなら本当に、満足のいく人生になっていくでしょう。
このために自分自身と、周りの同時代の隣人のために何をなすべきか、本当に自分自身に深めていかなくては、自分の歌いたい詩を歌えないと身にしみて思うこの頃です。
こんな努力を傾けて人生を送っている達人とも言うべき人が、世の中には、たくさんいました、いや今も多くの方がいるでしょう。
明治の俳人、正岡子規もその一人でしょう。かの有名な一文、「柿食へば、鐘が鳴るなり法隆寺」は、俳句の表す世界を端的に表わしています。
何気ない普通の、よくある私達の日常の、「柿を食べている姿」を日本の社会と文化に広げて、それを象徴する「法隆寺の鐘」に見事に描き出していますね。
また子規がどのように、生きていたのかは、その病の中で綴られた文章が語っています。
彼は、家族に家庭の和楽を求め、その為に、一家の団欒を推奨し、「一家の団欒ということは、先ず食事に一家の者が一か所に集まり、食事をしながら雑談もし、食事を終える。また雑談をする。是だけの事が出来れば、家庭は何時までも平和に、何処までも愉快であるのである。」(「病床六尺」より)。
そして次の句の平凡だけど、当り前の家族の幸せが、ふつふつと伝わってきますね。「三人集ツテ菓子クフ」(正岡子規の<楽しむ力>参照)
また、「甕にさす、藤の花房短ければ 畳の上に届かざりけり」の句は、藤の花の美しさと畳におかれた甕との均衡の描写がなんとも言えない、家庭の中の飾らない美しさを描き出していますね。
子規の心が、甕の藤にちょっとのっていると言った日常の世界です。
生活を愛し、自然も人も楽しみの中に誘い込む、そんな世界を子規は、その短い生涯を通して伝えてくれています。
本当に、なんて、人ってよいのでしょう!
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