どうしてだろう?また自暴自棄な劇場型犯罪が起こった。現代社会の孤独な犯罪、孤立した寂しさと先の見えない大きな不安の中で、この若者は、友達がいない、彼女がいない、と嘆きながら犯罪に走っていった。直接の、きっかけは、リストラ(これは彼の思い違いと言われているが)がささやかれている中で、作業服のつなぎがなくなった、という出来事が一気に彼の感情に火をつけてしまったのだろうか?まるで、ガスが充満しているところにほんの小さな火で引火したような感じだ。
現代社会の“アキレス腱”は、こんな若者の“こころ”ではないのだろうか?彼らは、まだ、自分自身を操縦できない、しかも彼らの、多くの欲求は満たされないまま、今の社会制度の中で捨て置かれている。今までの日本社会は、高度成長の中で、曲がりなりにも、企業が個人をその制度の中で、支えていたのだが、世界規模のグローバル化の中で、いつでも、労働力を切り捨てられる、派遣や、契約という制度に変えてきている。
今、小林多喜二の蟹工船が、青年たちの間で、ブームになっているという。戦前の軍国主義の暗い時代の、労働者が奴隷のように働かされていた多喜二のこの小説は 団塊の世代の間でもよく読まれていたが、それは、戦前の資本主義のひどい状態を理解するといったもので、決して、彼らの境遇をそれに重ね合わせたものではなかった。それは、むしろ、権力に抗して、生きたその生き方に共感を感じたいから、ではなかったのだろうか。
時代は、繰り返すのだろうか?今が、そのころと似ているとは・・・。
しかし、本質は、同じなのかもしれない。ただ、新しい様相で、それは表れてきているようだ。人間のデジタル化だ?!今までのように年功序列の正社員で、会社に従属するのでなく、自分の選択で、仕事を決めていくのだ、などと。しかし、選択する側に、選択の自由があればの話だが・・・。選択の範囲は、代替可能な誰でも良いといった仕事、時に3K,低賃金の派遣労働の範囲と相場が決ってくる。
「いや」だけど仕方がない。多くの若者が、こんな思いで職場に重い足を引き摺っている姿が浮かぶ。この気持をどう、切り替えたらよいのだろうか、2年続いたら良い方で、もう4,5回仕事を変えている、と言って、カウンセリングに通いながら仕事を続けている青年もいる。気持の持って行き場がなくて、うつ状態になり、引きこもってしまう青年も多いと思われる。人間は、アリではいられない。気持も頭も使いたいのだ。
今の社会の希望のなさ、仕事への不満、生きがいの感じられない毎日、お金もなく、彼女(彼)とも出会う機会も少なく、コミュニケーションも下手なそんな若者の、心の叫びをまず、発信してみて!思いをまず言葉に!そしてその中から、きっと自分の課題が浮かび上がってくる筈!一人で孤独に思いつめて、自分の境遇に押しつぶされないように。
心を合わせるだけでも、気持が切り替わってくるから。自爆と破壊は何も生み出さない!
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