心はいきもの、そしてシステム。とてもシンプルだけど、その意味を噛みしめると
改めて、その大切さに思い入ってしまう。
私の心は、今まで大事に扱われてきたのかしら?誰から?それは、その持ち主であるあなたから、また周りの人から・・・?
人って、目に見えるものについては、欲しい、或いは欲しくないとすぐ感じられる。
食べ物などは、長年の舌が覚えた味覚と胃袋に相談して、決断は容易なんだけれど、こと、目に見えない心のようなものは、“ふと感じる”、あるいは、“何となく感じる”程度では、時のスピードに押しやられて、あっという間に、流されてしまいそう。ところが、その重たい感じ、満たされない感じというのは、心の感触として、結構残るようである。心の消化不良とでも言えばよいのだろうか。
ゲシュタルト療法の創始者であるパールズは、この処理されていない、心の状態を、“未完の環”という言葉で表している。 小さい時から、その発達をし続けている、心にとって、このような未完の環が、いつも残されていくとどうなるのであろうか?心は、その痛みを抱えながら生きていかなければならない。その途上で、この“未完の環”の答えを見出し、解決できれば、その痛みはなくなり新しい一歩を踏み出せるというもの。
例えば、いじめを受けたり、人に裏切られたりというつらい経験が続くと、人に対して否定的になり、心を閉ざしてしまいたくなる。結果、人と距離を置き、閉じこもりがちになったりする。ところが、世の中には、温かい心の人もいて、そんな人に出会い、つながりが出来てくるとだんだんその人の“未完の輪”が閉じてき、表情が、明るく変わってきているのに気づくだろう。
先日見た、NHK教育放送の「人生・夜間中学教師・不登校の君」(H19.10.31)のなかの「伸くん」が、夜間中学で中高年のクラスメイトと一緒に学んでいく中で、明るい表情を取り戻し、やがて、皆の前で、国語の本読みをするようになり、その顔のひたむきさに、先生とクラスメイトの静かな感動を呼び、今日の夜間中学の中で育ていく心に、感動を覚えると同時に、心の育つとても大切なヒントが伝えられているように思えた。
それにしても、明るさを取り戻した「伸くん」の表情の素敵だったこと、心が変わるって事は、ずっとずっと人の奥底にあるものが輝き出すのではないだろうか。人は、きっとこの輝きだすものを皆持っているのではないか。そして、その輝きを輝かすために「心」を持って生きているのではないのだろうか。そんな想いが湧いてきた。
花には、太陽と水と土とが必要なように、生きものである「心」にとっても、太陽のような温かさと、生き生きとさせる、水、そして、しっかり安定を保つ基盤となる土、もう一つ、それらを吹き込む風が必要なのだと改めて考えさせられる。そして、私たち一人一人は、きっと心の中に、それらをもっているのだと思うし、それは、きっと自分のためにも、それを必要とする人々のためにも、使われたいと出番を待っているのかもしれない。 |